利益が出ている会社が、後継者がいないという理由だけで終わることがあります。いわゆる黒字廃業です。技術も、人も、取引先からの信用もある。それでも渡せずに終わる。中小企業診断士の理論政策更新研修で事業承継を選び、事業承継センターの金子一徳先生の講演をうかがって、あらためて考えたことを整理します。
本稿では、株式や税金といった制度面ではなく、その手前で実際につまずく「無形の価値」と「人の気持ち」の話をします。制度や時期については別稿に譲ります。
黒字なのに承継できない、本当の理由
黒字廃業の原因を「後継者がいないから」と一言で片づけると、打ち手が見えなくなります。実際に起きているのは、継ぐ人がいないというより、渡せる形になっていない、という状態です。
事業承継は、社長の名前を変えることでも、株式を移すことでもありません。先代が大切にしてきた考え方、長年積み上げてきた技術、社員との信頼関係、お客様から選ばれてきた理由。こうした決算書に載らない価値まで次の世代へ渡して、はじめて承継が終わります。
ところがこれらは、先代の頭の中と、体で覚えた手順と、長年の関係の中にあります。書き出されていない。だから渡そうとした瞬間に、何をどう渡せばいいのか分からなくなる。株式の移転は書類で終わりますが、こちらは終わりません。
決算書に載らない価値を、どう棚卸しするか
無形の価値は、大切だと言っているだけでは渡りません。見える形にする作業が要ります。実務では、次の4つを言葉にするところから始めます。
- 誰が何を知っているか。特定の一人しか判断できない工程はどこか
- なぜ選ばれてきたか。これは推測せず、主要な取引先に直接聞くのが確実です
- 取引が続いている理由。価格でないとすれば、何が理由なのか
- 先代が何を断ってきたか。受けなかった仕事の基準にこそ、その会社の判断軸が出ます
4つ目は見落とされがちですが、いちばん重要です。理念という言葉で語られるものの実体は、たいてい「何をしないと決めているか」の中にあります。ここが言語化されていないと、後継者は判断のたびに迷い、周囲からは「先代とは違う」と見られます。
この棚卸しは、承継の直前にやるものではありません。先代が現役で、記憶も関係も生きているうちにしかできない作業です。
最後に難しくなるのは、いつも「人の気持ち」
親族に継ぐ場合でも、社員に継ぐ場合でも、M&Aで第三者に託す場合でも、最後に難しくなるのは人の気持ちです。
制度設計や株価の評価は、専門家が計算すれば答えが出ます。しかし、先代がいつ手を離すか、後継者がいつ前に出るか、古参社員がどう受け止めるかには、正解の計算式がありません。そしてこの部分でこじれると、条件面がどれだけ整っていても話は前に進まなくなります。
先代と後継者は、違う景色を見ている
両者が対立しているように見える場面の多くは、意見の違いではなく、見えているものの違いです。具体的には次の4点でずれます。
ひとつめは時間軸です。先代は積み上げてきた数十年を見ています。後継者はこれから背負う数十年を見ています。同じ会社を見ながら、向いている方向が逆です。
ふたつめはリスクの重みです。先代にとってのリスクは、守ってきたものを失うことです。後継者にとってのリスクは、変えないまま時代に取り残されることです。だから先代の「まだ早い」と後継者の「今すぐ変えたい」は、どちらも正しい。
みっつめは人間関係です。先代には長年の取引先と、その関係の中で築いた信用があります。後継者にはまだありません。同じ提案をしても通り方が違うのは、能力の差ではなく蓄積の差です。
よっつめは数字の意味です。先代にとって会社の数字は、自分の生活と一体でした。後継者にとっては、預かった資産です。同じ決算書を見ても、感じている重さが違います。
この4つを両者が言葉にできると、対立の多くは解けます。相手が間違っているのではなく、立っている場所が違うだけだと分かるからです。
なぜ、間に立つ第三者が必要なのか
先代と後継者だけで話すと、どうしても親子や上下の関係が前に出ます。言えないことが残り、そこが後で効いてきます。
ここで必要なのは、どちらか一方の味方をする人ではありません。会社の未来を中心に置いて、両者の言葉を翻訳する人です。先代の「まだ早い」が実は不安の表明であること、後継者の「任せてほしい」が実は焦りであること。当事者同士では感情としてぶつかるものが、間に人が入ると情報として扱えるようになります。
私はこの役割を、社外CFOとして数字を見ながら、事業承継士として人の側も同時に見る形で担っています。数字だけを見る人と、気持ちだけを聞く人が別々にいると、話が二重になって進みません。
一社が消えると、何が失われるか
これから日本は、本格的な大廃業時代を迎えます。会社が一社なくなれば、売上が消えるだけではありません。
社員の仕事がなくなります。取引先の仕事も減ります。その会社が地域に積み重ねてきた技術と信用まで失われます。そして一度失われた技術は、同じ地域に戻ってきません。
経済的な価値のある会社を一社でも多く残したい。地方においても事業と雇用が続き、次の世代が安心して暮らせる地域であってほしい。これが、事業承継の仕事を続けている理由のひとつです。
そのために今できることは、決算書に載らない価値を、先代が元気なうちに言葉にしておくことです。株式と税金の話は、そのあとでも間に合います。
実務に直結する貴重なご講演をいただいた事業承継センターの金子一徳先生に、あらためて御礼申し上げます。

