「昔は全部見えていたんです。今は、見えなくなった」
従業員が20名を超え、年商が10億に近づいた会社の社長から、よく聞く言葉です。数字が読めなくなったわけでも、経営者として衰えたわけでもありません。会社の規模が、一人の人間が直接把握できる限界を超えただけです。
これは能力の問題ではなく構造の問題なので、頑張りでは解決しません。この記事では、その壁の正体と、越えるための順序を整理します。
なぜ20名・10億で壁が来るのか
創業から十数名までの会社は、社長が全員の仕事を見ています。誰が何をしていて、どの案件が儲かっていて、誰が伸び悩んでいるか。頭の中に全部入っている。この状態はきわめて強く、意思決定も速い。
ところが20名を超えると、社長の目が届かない領域が生まれます。同時に案件数も増え、判断の件数が処理能力を超えはじめる。それでも仕組みが変わらないと、こういう状態になります。
- 試算表は毎月出るが、全社の数字しか分からない。どの製品・どの現場で稼いでいるかが見えない
- 判断がすべて社長に上がってくる。幹部から「どうしましょう」と聞かれる回数が増えた
- 社長が現場に出ずっぱりで、経営を考える時間がない
- 忙しさは増しているのに、利益率は昔より落ちている
最後の項目が壁の証拠です。売上は伸びているのに利益率が落ちている会社は、どこかで採算の悪い仕事を抱えていて、それが見えていない。
壁は3つある——数字・基準・時間
| 壁 | 症状 | 本当の原因 |
|---|---|---|
| 数字の壁 | 全社PLは見えるが、部門別・案件別が見えない | 管理会計の解像度が規模に追いついていない |
| 基準の壁 | 判断が全部社長に上がる。任せられない | 判断基準が社長の頭の中にしかない |
| 時間の壁 | 現場に出ていて、考える時間がない | 上の2つの結果として起きる |
多くの社長が最初に自覚するのは時間の壁です。しかし時間の壁は結果であって原因ではありません。数字と基準が整わないまま時間だけ作ろうとしても、現場から離れた瞬間に判断が滞り、結局戻ることになります。
越える順序は「数字 → 基準 → 権限」
この順序が重要です。逆にやると必ず失敗します。
1. 数字——どこで稼いでいるかを見えるようにする
最初にやるのは、全社PLを分解することです。部門別、製品別、現場別、あるいは顧客別。自社の意思決定の単位に合わせて切ります。
ここで完璧を目指さないでください。精緻な原価計算を構築しようとして頓挫する会社が非常に多い。最初は「儲かっている/儲かっていない」が判別できる粗さで十分です。共通費の配賦も、厳密性より継続性を優先して、単純なルールで割り切る。
この解像度が上がると、値上げ交渉の的が絞れるようになり、賃上げの原資を作る打ち手も具体的になります。逆にここが曖昧なままだと、すべての改善が勘に頼ることになります。
2. 基準——判断のものさしを頭の外に出す
「まだ任せられない」と言う社長に、では何ができれば任せられるのかを聞くと、多くの場合すぐに答えが出てきません。「任せられない」の正体は、部下の能力不足ではなく、判断基準が言語化されていないことです。
基準には2種類あります。
- 決裁基準——いくらまで、どの範囲なら現場で決めていいか。金額と種類で線を引く
- 評価基準——何をどうやれば良い仕事なのか。抽象語ではなく行動で定義する(評価項目の作り方はこちら)
この2つが文書になっていれば、部下は社長に聞かなくても判断できます。逆にこれがないまま「もっと自分で考えろ」と言うのは、答えを見せずに正解を当てさせているのと同じです。
3. 権限——渡して、戻さない
数字と基準が整って初めて、権限を渡せます。そして渡した後に最も重要なのは、失敗しても取り上げないことです。
一度権限を渡し、部下が判断を誤り、社長が「やっぱり自分が見る」と巻き取る——これを一度やると、以後その組織では誰も判断しなくなります。だからこそ、渡す前に決裁基準で金額の上限を決めておく。取り返しがつく範囲で失敗させる設計が要ります。
やりがちな間違い
- 人を採って解決しようとする——幹部を採用しても、判断基準がなければ判断できない。優秀な人ほど、基準のない組織では力を発揮できずに辞めていきます
- システムを入れて解決しようとする——何を見て何を決めるかが決まっていないと、出力される数字が増えるだけで意思決定は変わりません
- 会議を増やす——報告の場が増えるほど社長の時間は減ります。会議は「何を決める場か」を定義してから設計するもの
- 時間の壁だけを解こうとする——現場を離れる前に数字と基準を整えないと、必ず引き戻されます
「現場を離れる」ことへの罪悪感について
この規模の社長からよく聞くのが、現場を離れることへの後ろめたさです。自分が一番動いてきた自負があるほど、離れることが逃げのように感じられる。
しかし、社長にしかできない仕事は現場作業ではありません。5年後の絵を描くこと、大きな投資の判断をすること、銀行や取引先と交渉すること、次の世代に渡す準備をすること。これらは誰にも委譲できない一方で、緊急ではないため、現場に出ている限り永久に後回しになります。
現場を離れるのは、楽をするためではなく、誰もやっていない仕事をするためです。そして会社が20名を超えた時点で、その仕事の価値は現場作業を上回っています。
まとめ——壁は成長の証拠
数字が見えなくなったのは、会社が大きくなったからです。壁にぶつかること自体は、順調に来た証拠でしかありません。
問題は、壁を「自分の頑張りが足りない」と解釈して、より長時間働くことで越えようとしてしまうこと。構造の問題は構造でしか解けません。数字を分解し、基準を言語化し、順番に渡していく——地味ですが、これが唯一の道です。
自社がどの壁にいるのか、何から手をつけるべきか——数字を見ながら整理したい方は初回の無料相談でお聞かせください。
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この記事を書いた人
矢野誠(やの・まこと)|株式会社フエル代表・社外CFO。中小企業診断士・事業承継士。製薬大手で20年、財務管理の実務を経て独立。大阪を拠点に、年商10〜50億円規模の製造業・建設業・医業を中心に、資金調達戦略・事業承継・人事評価制度構築を支援。「会社の未来予想図を、数字で描く社外CFO」

